時間とは何かという哲学的問題について

自著の哲学的エッセイ本から適当に抜粋


場合によって、自分の予想している時間が変化し、現実の時間と違う場合がある。
過去に見たものと現在見たものを照らし合わせることで時間を予想する事はできる。目を閉じれば殆ど自分の意識だけになり予想できないが、思考する意識によって時間を予想する事は可能である。
ただし何も考えなければ、どれだけ時間が経過したのか知る事は出来ない。
時間を知るには、過去の経験の記憶によって体感的に大体これぐらい時間がたったかなと予想する事になる。秒数を頭の中でカウントしていても秒数の精度が甘い記憶であった場合、現実の時間とのズレは生じてくる。カウントするのも予想である。過去に見た時計の時刻の記憶からも予想される。あれからどれくらい時間が経ったか予想するのだが、認識量やストレスなどの負荷による思考時間の長時間化により、現実の世界の時間は長時間過ぎて行くのだが、ストレスなどの負荷により予想の精度が曖昧である場合があり、予想していた時間が外れたりする。
認識量やストレスや負荷は思考時間及び予想に影響を及ぼし、思考時間や、過去や現在の記憶などは時間を予想するための要因であり、その予想によって意識の時間の流れ方が決まると考えられる。

なぜ眠りに就いて意識が無くなり、その後意識が再開しても、眠りに就いて意識がなくなった時点から再開しないのか。
恐らく現実世界の物理的法則により、意識が再開しても眠りに就いた時点から再開されないのである。
この現実世界の構造はシンプルではなく、物理法則のある現実世界とそれを認識して存在する意識がある。その物理法則が複雑な構造で詳細を知る事は困難である。
現実世界は自分の潜在意識か精神が生み出しているとすれば、現実世界の時間は潜在意識か精神が生み出している事になり、意識の時間と、精神が生み出す現実世界の時間の二つがある事になる。


時間については未だによくわからないままである。