我々は満たされない欲望を満たすために何かを知るまたは感じる。
たとえば知りたいことを知る事で欲望が満たされる。
これは会話などネット検索など小説など漫画などテレビや映画などアニメなど動画や音楽など様々な知る物が存在する。
食事では美味しさを知る又は感じる事で欲望が満たされる。音楽もメロディーを知る事、感じる事で満たされる。
現代人のみならず太古からこの知るという事を求めている。
アリストテレスの名言「人間は生まれながらにして知ることを欲する」という事である。古代ギリシャから言われている事である。
これが我々のベースとしてある。つまり我々の生きる意味や目的は充足である。
これは知らないから知りたいのであり、知らないという事から全ては始まっている事になる。
いわば仏教でいうところの十二縁起の無明から始まっている。
我々は現代の時代でこのベースを満たすために物質を利用している。
機械や家電やPCやスマホやAIや様々な物質に頼っている。
また精神であっても脳であるからして物質である。これは唯物か唯心の問題になるので別記事をブログ内検索して見ていただきたい。
この物質依存が最近世の中で懸念されるようになってきている気がしている。
いわばスピリチュアルや占いなど精神的なものへシフトしようとしている気配がある。
AIの発達やネット検索であまりにも知る事が簡単になった事が原因として考えられる。
この物質依存は我々を考えさせる事を止めさせてしまうようになる。
つまり機械や家電に頼るようになって怠けてしまうようになり考える力が衰え脳が退化する可能性があるのだ。
最終的には人間よりはるかに頭の良い正しい強いAIの事を信用するようになりAIに支配されるようになり自分で考える事はなくなるだろう。
全てコンピューターが考えてくれるからだ。
そして未来人はAIとの融合とサイバー化と脳の拡張化などにより、ほぼ全ての情報を知っている状態になるだろう。
そこで我々は全てが満たされた状態に近くなる。
そのような未来の世界で生まれてくる子供達がどのような方向へ向かうのか疑問に思うようになる。
全てが満たされた場合、目標がなくなり目的も無くなってしまうので存在意義を問うようになる。
当然その答えも知っているので未来人はそんなレベルの事を考えるよりも超越しようとするだろう。
或いはヘロイン中毒者のように脳内麻薬を分泌させ続けるような永遠と快楽を感じ続ける状態に近くなる。
現代人がテレビを見ながら笑うかのように未来人は何かのマシンに繋がれて或いは電磁波によってそこに居ながらマシン中毒者かのように笑いつづける事になるだろう。
或いは前者のように快楽や知る事を超越しようとする。
しかしベースが満たす事である限り超越しても同じことである。
物質に依存しているからスピリチュアルな精神的な世界へ移行したとしてもベースが同じなら何れは精神依存と言われるようになるだろう。
これは物質に依存するか精神に依存するかという違いなだけである。
依存の問題は以前書いた別記事で取り上げているのでブログ内検索してそちらを見ていただきたい。
物理学を極めるか、精神性を高めるか、その結果物質に甘えるか精神に甘えるかといったところだ。
結局は楽をするために苦をしている。苦労しないで楽ができるのならこの苦労は何の意味があるのか疑問に思うようになる。
そして超越しても同じことである。
その超越したなにかに依存することになる。
それが問題かどうなのかという問題を我々は今この現代でしているというわけだ。
まず超越するとしたら二種類の超越が考えられる。
一つはベースの超越である。
超越がある段階まで来たらベースが変化する可能性がある。
そしてもうひとつの超越は五感や思考というものを完全に超越した全く別の存在や次元のものになる事である。
ものでもないかもしれない。なにかはわからないがとにかく全く違う存在である。
この世界の外界が完全自由空間をベースとして存在しているのならどのようにでも無限に超越可能である。
ここまで来たら超越する事を疑問に思うかもしれない。
超越する事に意味はあるのかどうか。
むしろ超越を超越しているのでそんな事も思わないかもしれない。
考える事や思う事を超越しているからだ。
しかしその超越した先にあるもので同じような事が起きている可能性はあり得るしない場合もあり得る。
超越した者からすれば、我々が物質に依存するか精神に依存するかなどちっぽけな問題でしかないのかもしれない。
higajoukun.hateblo.jp
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