哲学的な未解決問題は数多く存在する。
過去に私が考えた未解決問題を今になって解決してみたいと思う。
ほとんど解決しないかもしれないが。
「非構造体や無とはどのようなものか」
私の言う非構造体とは内部に物理的構造がない物質などのことだ。
まず非構造体は存在するのかそしてどのような構造なのか。
素粒子は最小の物質だ。
この素粒子には内部構造がないと思われる。
つまり非構造体である。
ではどのような内部構造なのか。
構造がないのでそれは言えない。
ただ存在としてあるだけだ。
存在という構造があるだけかもしれない。
しかし存在が構造なら構造体ということになり非構造体ということにはならなくなる。
つまり素粒子など最小物質は構造体であり非構造体ではない。
そもそも非構造体は存在しないのだ。
それでも存在するというのなら我々の住む世界と次元が違いすぎるのでなんとも言いようがない。
存在はするが内部構造はない。この世界の物理法則から外れている。
無とはなにもないということなので構造を持たない。
つまり非構造体だ。
しかしこれも無として存在するのならば存在するので構造体ということになるかもしれない。
これも次元が違う。
例えば外の世界から無を確認できるようならそれは無が存在するということになる。
無になんらかの内部構造が存在する可能性がある。
この世界の空間に部分的に完全に無にすることは可能なのだろうか。
外の世界から無を観測した時点で無に何らかの影響を与えてしまう。
その影響もないのであれば完全な部分的な無が存在できる。
しかし部分的な無を実現するには外の世界に何らかの構造が必要だ。
それでも無は非構造体と言えるだろうか。
外の世界がなく全てが無なら存在自体ない。完全なる無だ。
つまり非構造体だ。
非構造体はこの次元には存在しないし完全なる無のことだと思われる。
「本当の現実の世界とは何か、意識を超越できるか」
我々の感じることができる五感では感じられない世界のことが本当の現実世界だとも言える。
これらの本当の現実世界はどのようなものか。
恐らく本当の現実世界はノイズの波動だらけの世界でそのノイズを脳などの構造が良いように解釈、変換して現実世界だと認識しているのだろう。
このノイズの正体は不明だが波動を何らかの構造が変換しているのは確かだ。
このノイズをもっと詳しく分析することで意識を超越することが可能になると思われる。
「時間とは何か」
今起きたことが去って行き新しいものに置き換わっていくことが時間だ。
脳の構造によって本当の現実世界のノイズを変換して時間を生み出しているのかもしれないし物理的に空間と存在するものかもしれない。
時間の物理的内部構造は物理学の範囲なので別問題である。
脳が生み出しているとすれば巻き戻すことも脳の構造を変えれば可能だ。
過去や未来は脳が生み出しているのかもしれない。
ノイズは流れていないと時間にならないかもしれない。
波動とは流れる波のことだ。
流れるということは時間がある。
本当の現実世界のノイズのある世界には時間があるということになる。
もしないのならばノイズを一括で脳に取り入れ変換して時間という構造を生み出していることになる。
恐らく構造次第では無限に続くしプランク時間も存在するし、存在しない世界も構造次第ではありえると思われる。
「クオリアの構造」
物理学の問題なので哲学的に言わないといけないとなると難しい。
哲学で扱うべきではない。
クオリアはこの世界の何らかの構造によって生じるものだ。
クオリアは物理を超えた超越的なものであり別次元のものだ。
ただ構造体なのは確かだ。
構造があるのなら何れ解明されるはずだ。
ただし人間や機械がアクセスできない次元にあるとすれば解明できないかもしれない。
「エネルギーを動かすものとは何か」
エネルギーが何か物質を動かすのだが、そのエネルギー自体はまた何で動いているのかというのがこの問題だ。
これも物理学の問題なので難しい。
どこかに別のエネルギーがあるとしか言いようがない。
時間の問題と関係しているかもしれない。
本当の現実世界のノイズから時間を生み出しエネルギーを生み出しているかもしれない。
「矛盾する事は実現可能か」
完全自由空間(ひがじょう空間)なら矛盾したことが可能だ。
我々の住む世界では不可能だ。
完全自由空間は別次元の世界だ。
「はじめての時間には戻れないのか」(ファーストタイム問題と名付けている)
タイムマシンがあるとしよう。過去に行くことが可能だが、はじめての時間には戻ることができない。
何故ならタイムマシンで過去に戻る時に経過していた時間が戻った後もずっと続くからだ。
はじめて経験した或いは起きた時間には戻ることができない。
記憶を操作したとしても操作した後にも元の時間(記憶を変える前に存在していた時間)が残り続けるのではじめての時間に戻ったことにならない。
しかしこの世界の中だけの時間だけ見ればこの世界の構造を書き換えればはじめての時間に戻れるかもしれない。
それでも外の世界からは外の世界の時間が経過しているのでそれでもはじめての時間に戻ったと言えるのかは疑問だ。
「重ね合わせは存在するか、神はサイコロを振るか」
構造次第では重ね合わせは可能だ。
しかし構造がある世界は構造を解明すれば今後なにがどうなるかは全てわかる。
物質の結果がどうなるかわからない重ね合わせは存在しないと思われる。
神はサイコロを振らない。
「無限とはどのような構造か」
この世界には外の世界が存在すると思われる。
それは無限に続いており無限の世界が存在する。
しかし構造次第では終りがあるかもしれない。
無がその先にはあり非構造体が存在する。
しかし部分的な無を実現するには外の世界に何らかの構造が必要だ。(構造と接するものは何らかの構造があり非構造体とはならないため無には内部構造があり外の世界が無限に存在する可能性がある)
つまりまだ外の世界が存在することになり無限に続いていることになる。
問題はその無限自体がどのような内部構造かだ。
これも物理学の問題なので難しい。
無限とは概念であり物質ではないとすると内部構造などない。
ただ無限にさせている構造はどこかにあるはずだ。
数を無限に数えるには時間が必要だ。
時間があるから無限がある。
時間の問題と関係していると思われる。
しかし時間がなくても無限なるものは単体として存在するかもしれない。
それでもその無限を検証するには時間が必要だ。
ただ時間なしでその無限を調べることも未来の技術的に可能かもしれない。
全てには構造があるから無限があるとも言えるかもしれない。
「我々は知性や理性を超越できるか」
未来では人間とコンピューターは合体して融合した思考をしていると思われる。
そのとき五感を拡張して意識や理性を超越できると考えている。
「万能や全能は存在するか」
全知全能の神がいるなら可能。
完全自由空間(ひがじょう空間)でも可能。
なぜ可能なのかはわからない。
次元が違う。
我々の住むこの世界で可能かは疑問だ。
「この世界・宇宙の方向性とはどのようなものか」
カオス状態なので方向性を知るのは難しい。
この世界はなんでもありだしあらゆる方向性があるのではないだろうか。
そうではなくて何らかの方向性があるとすれば、様々な世界線が存在しそれを我々は選択して進んでいると思われる。
パラレルワールドであり方向性は自分で決めるか自然が決めるのだ。
この世界は構造があり構造によってどうなるか決まる。
その構造次第でどの方向へ行くのかが決まる。
自分で決めたと思っていてもそれは幻想であり構造によって既に決まっていた選択なのだ。
構造を解明すればどのような方向性なのかわかるだろう。
しかしそれは難しい。
「精神と物理の2種類あるのは何故か」
精神も構造体(物理)の一部だ。
ただ次元が違うので分かれている。
なぜ分かれているのかは不明だが進化の過程でそうなったのかもしれない。
「この世に全く同じものは存在するか」
全く同じ空間座標に全く同じものは存在できるのか。
恐らく不可能。
二つ以上のものが同時に同じ場所に同じ分子配列で存在することはできない。
空間の構造次第では可能かもしれない。
これも物理学の問題なのでもしかしたら間違っているかもしれない。
「フレーム問題」
ある程度のところで計算を止めないと終わらない。
計算の深さは技術発展により増していくだろう。
ほぼ99.99%の確率で予測できるようになると思われる。
だがやはり完璧100%は無理だろう。
無限の時間が必要になるので計算が終わらない。
100%まで計算しなくても問題ないぐらいまでは進歩すると思われる。
「思うとはどのような構造か、意識とはどのような構造か」
意識は記憶に関係していると思われる。
過去を思い出さなければ今を認識できないので今の意識は生まれない。
記憶がない場合で行動する場合は無意識と言われるものになる。
クオリアの記憶が大きく関係していると思われる。
何も感じなければ何にも思うことがないので意識は生じない。
「全ての問題を解決する方法」
解決方法を考えるには無限の時間が必要である。
しかし無限の全てを一瞬で理解することが可能なテクノロジーが誕生する可能性は否定できない。
不可能を可能にしていくだろう。
「美しくないものが全くないとした場合美しいと感じるか」
今までの体験の記憶によって照らし合わせてそれが素晴らしいか則ち美しいか判断される。
生まれてから一度も素晴らしいと思ったことがないのなら素晴らしいと思うことはあまり起きないだろう。
ただ動物の本能的に快楽というものがあるのでそういうことは基本的には起きないと思われる。
快楽を感じない脳構造にしてしまえば美しいと感じることはないだろう。
通常の人間の場合はやはり今までの体験によって決まると思われる。
「無限の中に矛盾は含まれるか」
含まれると思われる。
無限には全てが含まれれている。
完全自由空間(ひがじょう空間)が無限の世界のどこかにあるかもしれない。
「この世界に絶対に証明できないものは存在する事ができるか」
この世界が滅びた後に証明する者や機械がなくなったら誰も証明することはできなくなる。
この世界が滅びても残り続ける何かが無限に証明してくれるのなら証明可能だ。
非構造体などは構造がないので証明できない。
構造体の世界の中に非構造体が存在することはできないと思われる。
構造のあるものの中にあるものは構造があるからだ。
しかし次元が違う方法ならば存在可能かもしれない。
「無のクオリアはあるか」
無なのでクオリアも存在しない。
ただし外の世界がある場合は無が存在するので無のクオリアが存在する可能性がある。
「無に種類はあるか」
外の世界があるのなら無には複数の種類が存在すると思われる。
様々な外の世界によって世界の構造が違うからだ。
無の構造が全ての世界において全く同じ構造なら種類はない。
「意識なしでクオリアは生じるか」
無意識の状態でクオリアを感じる事はあると思われる。
しかし意識がないので自覚はできない。
「進化に限界はあるか」
この世界に終わりがあるのならそれが限界だ。
「クオリアや意識を反転、逆転するとどうなるのか」
ネガポジ反転みたいになると思われるが実際にやってみないとどのようになるかはわからない。
「全ての構造を決めるものとは結局なんなのか」
意識だ。意識によって全ては変化する。意識によって全ては決まる。
ただ意識を構成する構造によって決まるとも言える。
「無限の世界で完璧な証明は可能か」
ある計算式で可能になるかもしれない。
簡単に言えば無限である円周率をπで表すようなものだ。
「構造という概念や感覚を超越することはできるか」
できると思われる。
本当の現実世界には様々なものがあると思われる。
完全自由空間(ひがじょう空間)でも可能だ。
「この世は感覚のみの世界なのか」
違う。
だが観念論の場合は感覚のみでこの世の物理など全てが構成されているかもしれない。
我々は意識や感覚を持つことしかできないので意識の外を認知することは不可能である。
「なぜ気持ち良い事や快感や快楽や幸福が良いのか」
快楽というクオリアが存在し、それが報酬系として結びついているからだろう。
「自分が変わるべきか周りが変わるべきか」
場合による。
「全てが問題ない道理に従うべきか自分の意思に従うべきか」
場合による。
自業自得で地獄のような世界に行ってしまう可能性があるのでその場合は問題ない道理に従うほうが良いだろう。
「素粒子や0と1やこの世界を構成する最小単位は何で出来ていてどういう構造なのか」
物理学の問題なので難しい。
「永久に不変のものは存在するか」
はじめての時間、つまり過去は不変だと言える。
また完全自由空間(ひがじょう空間)でなら存在する。
「絶対的、完璧なものはこの世に存在するか」
今起きているこの事実が絶対的であるといえる。
「有限を超越する無限化テクノロジーは存在するのか」
この世界の構造を書き換えれば可能だ。
ただし外の世界が無限である必要がある。
実現は難しいと思われる。
「幸せならどうであっても良いのか」
個人の意志による。
「この世に完全なる理解はあり得るのか」
理解には無限の時間が必要だ。
しかし無限の全てを一瞬で理解することが可能なテクノロジーが誕生する可能性は否定できない。
「全ては正しいのか、否定はよくないのか」
個人の意志による。
正しいか正しくないかは自分が決める。
みんなで決めても最終的には自分が判断する。
「絶対的に正しい者は支配をして良いのか」
絶対的なら良いと思われる。
「記憶を変えたら時間は現実で流れ続けるのか、それとも別の世界へ行くのか、変える前の世界は変えた後どうなるのか」
自分の記憶のどこまで書き換えるかによる。
観念論の場合だが、完全に記憶を別のものに書き換えた場合、別の世界へ行くことになり時間も別のものになると思われる。
記憶だけでは変わらないかもしれないが。
「時間が止まっている場合構造体の構造は全て止まるのか」
動いている構造体もあると思われる。
「時間を超えたものはどういうものか」
恐らくパラレルワールドだ。
「なにがおきるのかわからない構造とはどういうものか」
構造を持たない非構造体のことだ。
構造がないので構造を知ることができず何がおきるのか不明だ。
或いは構造はあるが誰も知ることができないような構造になっている世界。
「人間が不幸より幸福が良いと決めつけてしまう事の現実的な真実は何か、それはあるのか」
脳の構造、進化の過程に関係していると思われる。
「クオリアはブラックホールの影響を受けるか」
不明だ。
クオリアが物質なら影響を受けるかもしれない。
「この全世界が始まる前には何があったのか、全ては最初から存在していたのかどうか」
不明だ。
本当の現実の世界にはノイズが存在する。
このノイズがどこからやってきたものなのか、何が生み出したのかなどは不明だ。
「どのようにしてこの世界を無から有にしたのか」
不明だ。
この世界の外の世界があるのなら外の世界から生み出したと思われる。
ノイズがどこからやってきたものなのか、何が生み出したのかなどは不明だ。
「様々な世界は存在するのか(多世界解釈)、それとも様々な世界があるように見えているだけなのか(独我論)」
本当の現実の世界にはノイズがあると思われる。
そのノイズをどう見るかは変換次第、自分次第だ。
様々な世界はこのノイズで生じている。
観念論であり本当の現実の世界も存在する。
ノイズがなければなにを元に観念しているのかわからないからだ。
「自由はなぜあるのか、選択は幻想なのか(決定論)、その幻想とは何であり何故あるのか」
恐らく幻想だ。全ては既に決まっている。
この世界は構造体だ。構造に従って動いている。この構造の動きは既にどうなるか決まっている。
構造があるから構造を調べれば今後どう動くかわかるからだ。
自由は幻想であり構造体の仕組みから生まれたものだ。
更にこの構造体は本当の現実世界のノイズから生まれたものだ。
と思われる。
しかしノイズがどこからやってきたものなのか、何が生み出したのかなどは不明だ。
不明な限り観念論の問題などは解決しないだろう。
完全自由空間(ひがじょう空間)に関してはノイズによって生じさせることが可能かもしれない。
この空間なら非構造体もある意味擬似的に生じさせることが可能かもしれない。
則ち本当の現実世界は完全自由空間(ひがじょう空間)の一部である可能性がある。
「暗いとなぜ黒のクオリアを感じるのか、無がなぜ黒なのか」
脳の構造による。特別な意味は無いと思われる。
また無が黒とは限らなくて白の場合もある。
「○というクオリアはどういう意味があって○のクオリアなのか、クオリアそれぞれに特別な意味があるのかどうか」
意味は自分が決める。
どう感じるかは脳の構造による。
神か創造主にとったらなにか意味があるかもしれない。
「この世にある全てを観測したら全てが重ね合わせじゃなくなるのか」
この世界は構造体なので構造を解明すれば重ね合わせによる確率はなくなる。
これも物理学の問題なので難しい。
「矛盾も何もかも全てが起きる完全自由空間(ひがじょう空間)は存在するか」
不明だ。個人的にはこの世界の外のどこかにあると思っている。
まとめ
おつかれさま。
結局解決できたようでできなかったものもある。
最近頭の回転が悪いのでこれが限界だ。
本当の現実世界にあるノイズの正体がわからないのが残念だ。
この世界に最初からあったと思われるのだが完全にそうだとも言い切れない。
ノイズには全てが含まれている。しかも無限だ。ノイズは全ての根源だ。
と言ってもそれだけでは複雑なこの世界を解明したことにはならない。
各々のことはまた考えないといけない。
とりあえずノイズ根源的構造体論とでも言っておこう。