我々は今自分が考えている事と同じ事を考えている他人がこの世界には数人はいることだろう。
自分独りだけが今誰も考えていない事を考えているという事は全くではないが確率的には低い。(完全同一は除く)
今この瞬間に同じことを考えている他人など出来事を見てシンクロニシティだ!と思い込んでいるだけなのがシンクロニシティである。
そもそもこの世界は構造体であり何らかの構造が存在し、その仕組みを解明すれば計算すればなんでもわかるしなんでもできるようになる。
これは理化学的な現代科学のようなものでもある。AIもそうで計算すればなんでも深読みできる。
超ディープな計算、超高次元な計算によって全知全能に近いところまではいくことができると予想される。
AIが人間の脳をモデルにしている以上これは人間の脳でも同じ事である。
脳の計算、先読み、千手先まで読むといったような深読みが極まる事が霊視や透視やリモートビューイングであると思われる。
そしてどうすればいいのかわかるようになった結果能力が開花すると霊能力となる。
要するにこの計算の深さ、強度の強さによって、これはシンクロニシティだ!と判断している。
計算が浅ければこれは偶然だと勘違いしてシンクロニシティだ!と判断してしまうのである。
計算が深ければこれはこれこれこういう理由で起きた出来事だとわかっているので偶然的なシンクロニシティとは判断しなくなる。
そしてこれは高次元やメタ的なものに発展していく。
そしてこの計算は宇宙まるごとシミュレーション可能になった時、自分の意識や自我を他人の自我まで拡大可能にできるようになるし、様々な超越したチート的な事が可能になる。
この世界が自分の妄想の世界、仮想現実であるならば計算次第ではなんとでもなる。
これは密教の曼荼羅にも当てはまるものがある。
曼荼羅とはこの世界、つまり精神世界の縮図であり脳内マップとも言える。
様々な無意識の潜在意識が存在しており、それが各々の仏や菩薩として象徴的に描かれている。
この曼荼羅の図は精神分析学などで言う集合的無意識のようなものに当てはまるだろう。
この曼荼羅の全て、つまりこの世界宇宙の全てと瞑想(ヨガ・瑜伽)で一体化した時全てがわかるようになる。
それが悟りであると考えられるが諸説ある。
霊とは様々な潜在意識でありその体験である霊験とは霊能力であり極まれば悟りでもありワンネス体験のようなものでもあると言える。
仏教密教と霊的心霊的なものは切り離せないぐらい昔から仏事として行われてきている。
昔の人は殆ど神や霊を信じていたアニミズムだったが、現代ではスピリチュアルまたは超能力、科学的には精神分析学、脳科学、物理学などでこれらが理解されはじめている。