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私も最近ネガティブな思想からポジティブな思想になってきた。
というのも、この世界は構造体であるから精神も物理の一部だと思ったからだ。
要するに思想も精神も様々な考え方それ自体も物理なのだ。
ネガティブな物理が不幸という物理を生んでいる。それならば物理的にポジティブな思考をして物理的に構造を良くすれば良いじゃないかということだ。
大体なぜ物理的だからといって精神を無視してしまうのか謎だ。
ただの機械的に動く物理的な世界で虚しく思えるのだが、じゃあこれからどうするのかと考えた時、自分の都合の良い構造にしたほうが幸せじゃないかと。
機械的で虚空な世界だと決めるだけに至るのは、我々が理性的で知的な生命体であるからだ。
知りたいことを知ってしまえば最後はクリアになりなにもなくなるのだ。そこで虚しくなる。
どうせいつか死ぬから生きていても意味がないというのには実は反論があって、生きているのだから生きている間に楽しんでおいたほうが良いじゃないかというものだ。
不幸なまま死ぬよりはマシだろう。
問題はこれからどうするかという思考ができなくなっているということだ。
つい最近まで鬱の症状で吐き気が止まらなかったがポジティブになってから調子が良いのだ。
鬱の苦しみを実感して、正常な精神状態、正常な物理的な脳の状態の有り難みを実感した。
しかしそれでもまだ私は虚しさを感じる時があるし鬱っぽくなる時があるのだ。
なぜかと言えば生きる意味を見出せないというか無いからだ。
欲望を全て満たしてしまえば欲が無くなり生きる意味が何もなくなるのである。
見いだせないという考え方をすれば、まだ見つけられていないと捉えることが出来る。
何か楽しい事を見つけないと虚しくなり死にたくなってしまうのである。
それがなかなかないから困る。あったとしても、だんだん刺激的になっていくというのも問題である。
ヘロインと同じになってしまう。脳に悪影響がなければ問題ないと思うが、やはり強力な幸福が切れた後にくる絶望感は問題になるだろう。