今この瞬間はプランク秒より短くする事はできない、時間は存在するか【哲学・スピリチュアル】


今とは存在するのかしないのか。
我々が言う「今」とは今まさに今この瞬間の事であるが、厳密に言うとその人の観念つまり考え方によって決まってくる。
今と言おうと思ったのは時間の経過により過去の出来事となり、言った時点では既に未来となっているので今は過去という事になる。そして今はもう既に未来である。
このように今とは時間の経過と共に過ぎ去り過去のものになるので存在しない事になる。仏教的に言えば無常の事である。
しかし我々は今を認識できる。
今とは果たして存在するのか存在しないのか。
今を今と言おうと思った瞬間から言った後数秒後の事を言っている場合もあるし、現在の数分間の間の事を言っているのかもしれない。
今と言った後それをまた認識する事で今と認識する事が可能である。
意識とはこれを無限に繰り返して今を認識している。
このように観念的に変化し認識されるのが今というものである。
そして今この瞬間というのはプランク秒より短くする事はできない。
プランク時間とは時間の最小単位のことであり、これより短い時間は存在しないと物理学でそうされている。
物理的限界であり、脳の電気回路や電気信号の伝達速度の都合上の問題もあり認識の限界もある。
今を厳密に定義するとなるとプランク秒で定義する事になる。
スピリチュアルな精神世界で言えば時間を超越したりプランク秒より短い時間を体感する事は可能かもしれない。
じつは時間に関しては科学的にもあまり解明されていないのでわからない。
正直私にも時間に関する哲学はよくわかっていない事が多い。
時間とは記憶との関係性があり、過去の記憶から現在の知覚情報を照らし合わせて今や時間を認識しているというか生み出している。
つまり認識する今とは妄想である可能性が高い。
記憶や知覚がなければ時間も無くなり世界も妄想もなくなるという事でもある。ただしメタ時間は流れる可能性はある。
そして知る事とは過去を知る事かそれとも今を知る事かそれとも未来を知る事か。
恐らく過去は過ぎ去り今は過去の残像であるからして、我々が普段知るという行為は未来を知る行為なのかもしれない。
つまり我々は何か知ればそれは未来を見ている。
事実計算や予測などによってその結果を知る事で未来がどうなるかを知る。予言や霊視との関係性もあると思われる。
短い計算や予測を脳が行っており、その都度未来が決まっているか自分の妄想が現実になっている可能性が考えられる。
この予測が長期間であるほど自分の予測と一致することになり予言が当たるという現象が起きる。
逆に短期間しか予測していないから適当な予測になり適当な未来が現実となり予言が当たらないということになる。
無意識がこの世界を生み出しているとすれば無意識が顕在意識の予測に合わせれば無意識が顕在意識の予測通りの世界や未来を生じさせると思われる。
将棋や囲碁で千手先を予測する世界に似ている。対戦相手が無意識。無意識を先読みした結果実際にそれが現実となる。
無意識とは密教的に言えば阿頼耶識すなわち自然(じねん)や法爾の事である。
higajoukun.hateblo.jp
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