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なぜ人は悪い事を求めてしまうのか、悪夢や世界を生む無意識が求めるものについて【スピリチュアル・哲学・密教】

密教や仏教では、この世界は無意識である阿頼耶識から生じているという説がベースとしてある。
これは阿頼耶識という深い無意識である潜在意識があり、この意識が何か求めて何か生むというものである。
その生まれたものを我々はまた別の意識である、顕在意識、つまり普段の我々の意識する意識で認識、観るという事になり、世界がそこでやっと認識されるのである。
この間の時間は刹那ぐらい超高速で行われるのでそれを意識するのは難しいが、瞑想などでそれを可能にできる。
※ちなみに刹那とは(0.000000000000000001秒ぐらいだと言われている)

私は深い瞑想状態で解ったのだが、無意識は悪い事も求めているということである。
例えば映画でパニック映画が面白いとかホラー映画が面白いとか、主人公が崖っぷちに立たされるとかもっと軽度なものなら戦闘シーン、失恋シーンや何か些細な不幸が面白いように、
我々自身もそのような立場になることを実は無意識は面白がって求めているのではないかということを体感したのである。
そして我々は顕在意識でそれを認識して不幸だと認識してしまうので苦しむのである。
しかし実は自分自身がその人生を生じさせているわけで求めているというものなのだ。
この記事の画像がかっこいいと思ったらまさしく悪夢的な破壊的なものを実は心の奥底の無意識では求めている事になる。
私が作るハードテクノもそれを象徴している。
これはある意味心の病でもあるし無意識が病んでいるというか悪魔的であるからそうなるわけである。
といっても大体普通の人間は無意識のエス(イド)という本能的な生存に役立つ無意識が存在しており、
ここから攻撃的、性的な本能的なものが湧き出てくると言われている。
敵と戦うには必要なものなのであった。
それは現代では超自我という無意識の高次元バージョンが抑えているので全ては認識されることはないが、
無意識状態に近い深い瞑想状態や、夢を見ているときにそれが現れたりしてしまう。
悪夢の正体はこのエスと超自我と顕在意識のアンバランス。
密教では瞑想(ヨガ・瑜伽)によってこの阿頼耶識いわば精神分析学でいうエス(イド)のようなものを認識して理解して書き換えれば、悪夢や現実を自由自在に好きなものに変えられるだろうという教えでもある。
この世界が妄想故に妄想で対処できるというのが密教の教えである。
なにがこのような悪い本能にしているかといえばDNAの遺伝的なものもあるし様々な要因はあるが、
悪夢を見ないためには、普段から良い行いや考え方、悪い事はしないようにしたり考えないようにしたりして、ストレスも溜めない事が大切である。
つまり嫌な気持ちを排除することである。
瞑想などで安らかな気持ちでいる事や、普段から感謝の気持ちを持つこと、社会から離れて旅行や自然に触れてみる事、全てを受け入れてみる事が結局は自分の苦しみを解消消滅させることに繋がっていくのである。
普段の心掛けが大切である。心がけは全てを決定させる。いわば観念である。
密教が秘密である事や仏教に戒律がある所以でもある。
更に興味のある方は精神分析学や潜在夢、カタルシスで検索してみるのも良いだろう。