ひカゞι゛ょぅ庵 (ひカゞ浄土宗チベット派)

霊能力者が80年代アイドルレコードを聴いてコーヒーを飲みながらスピリチュアルと哲学するブログ。


時間を超える存在とは何かという哲学的問題

時空間を超越するものとはどういうものか。

この世界では時間が止まると全てはただ存在するだけで意味のないほぼ無の状態に近くなる。
何も動かないのだから意味がないのである。
ただあるのは物理的な構造のみである。完全な無ではない。
それはいいとして、そこで問題なのが時間を超えるものはあるのか。そしてそれはどういうものなのかという事だ。
空間を超えるものとは何かというのも気になる。
空間がなければ存在できないし時間がなければ動かない。
時間だけがあっても空間がないのでなにも存在することができないので動かないし、空間だけあっても時間が進まないので物質が進まないので動かないのである。
その時空間を超越するものが存在すると仮定したらどうだろうか。
この世界の外、メタ的なものが存在するはずで、時空間を超越した何かがあると私は思うわけである。
しかしそれは構造体の一部であり構造がある。構造があるものは時間がなければ動かないので意味がないものである。
もしかしたら時間とは別の何かが存在しているのかもしれない。時間を超越した構造体である。
その構造も時間に囚われない別の何かで動く存在である。
それが何かは私には一生わからないかもしれないし、天才的な科学者が近い将来解明してくれるかもしれない。
クオリアと同様わからないので解明するオチはない。
そしてついでに言うとその時空間を超越したものも止まっていた場合結局この世界は存在しているだけでほぼ無なのだろうか。
もしかしたら無限に何かを動かすエネルギーが存在しているのかもしれない。
人間の考える事や認識する事は人間の内でしかないのでその外に意識を向けてみることは大切である。
だが人間である限り一生わからない事であろう。認識することがそもそもできないし考える事もできないのである。サイボーグ化でもしたら可能かもしれないがこの世界この宇宙の内では外を知る事は困難であると思われる。