今回は哲学未解決問題の記事にあるこの問題について考えてみよう。
「意識なしでクオリアは生じるか」
意識がないとクオリアを知ることはできない。
意識がないなら感じることができないので知ることはできないのだ。
だが意識なしで現実世界ではクオリアが生じている可能性はある。
ここでちょっとクオリア自体が意識の一部だと考えてみるとどうだろうか。
要はクオリアが液晶画面の画素(1ピクセル)だと考えるとわかりやすい。
様々なクオリアが集まって意識や精神が構成されているということだ。
クオリアは意識という精神を構成し、意識はクオリアが元になっているのでクオリアを感じることができる。
これについては後で詳しく話すとして、
話は変わるが共感覚(シナスタジア)というのがある。見たものを匂いとして感じたり音として感じたりする感覚のことである。
視覚が聴覚になったりその逆もあり得る。色のクオリアから匂いのクオリアが生じたりするのだ。
様々な感覚のクオリアが集まってできているのが意識や精神であるということである。
これはただの仮説というか思いつきなので間違っている可能性もある。
精神はなんらかの集合体なのは確かだ。
様々な脳の部位が集まって構成されている。
スピリチュアルの精神世界でいうアストラル体やメンタル体の集まりでもある。
背後霊や守護霊が集まって精神が構成されている。
意識がなくてもクオリアは存在しているはずである。
そうでなければクオリアは意識が生み出していることになる。
意識にクオリアを生み出す仕組みや構造があるということだ。
この世界は様々な物質や精神の集まりで構成されているのでクオリアだけが存在することも意識の一部が必要かもしれないが構造次第ではあり得るわけである。
ちょっと簡単にまとめると、
この1か2のどちらが正解なのかが問題である。
1に関しては本当に思いつきなので確証はない。
我々は何かを感じる事で意識というか自我が生じていると考えられる。
それはクオリアを感じる事で意識が生じるという事であり意識はクオリアによって生じてるということでもある。
暗い色を見ると意識が暗くなったり明るいものを見ると意識が明るくなるという風に意識がクオリアに支配されている状態である。
だがよくよく考えてみると意識はクオリアとは別に存在するとも考えられる。そこが難しいところである。
私の思い付きというのはクオリアがなければ感じる事がないので意識も生じないという事である。
しかしよく考えてみてほしい。さっき共感覚の話をしたと思う。
我々は意識的にクオリアの印象を変えることが可能である(可能な人もいる)。
つまり暗い色を明るい色と感じたり逆もあり得るのだ。
このことから考えると意識はクオリアに支配されておらず意識とクオリアは分離している。
意識次第では無になることも可能だ。
だがよく考えてみてほしい。
共感覚じゃない人もいるわけである。
その人はクオリアに支配されている。赤なら赤でしかないのだ。ほかの色には見えない。
つまりクオリア次第で意識がどうなるか決まる状態である。
共感覚の人もいるので、意識が生み出すクオリアと現実世界に存在するクオリアの二種類あると考えられる。
2に関しては意識の最小単位は何なのかという問題がある。
もしかしたら1と2両方間違っているかもしれない。
クオリアはクオリアで存在しており、意識は意識として存在する。
つまりクオリアで意識は生じていない。
意識によってクオリアも生じていない。
結局不明なので結論は出せない。
もっとよく考えてみる必要がある。
夢では意識というか潜在意識がクオリアを生み出している。
クオリアの記憶を引き出しているのだ。
クオリアは記憶して再生することが可能だということだ。
ではもともと記憶する前にあったクオリアはどこから生じているのか。
ある光の波長か波動を脳が感じて脳がクオリアを生じさせているのだろうか。
それとも脳の外の世界に存在するのだろうか。
現状では脳内というのが妥当な気がする。
クオリアは意識が生み出していることになる。
だが肝心のクオリアとはなんなのかがわからない。
どういう構造でどういう場所に存在するのか。
意識なしでクオリアは生じるのか。
クオリアや意識が感覚的世界に存在するのはわかる。
それがどういう構造の世界なのかはわからないが意識もクオリアもとある世界や空間に存在するわけでそこで生じている。
意識と分離してクオリアが存在することができるのなら意識なしで生じるだろう。
意識の一部であるとか意識と融合されているのなら意識なしでは生じないだろう。
だが意識と分離させてクオリアを生じさせるテクノロジーもありそうな気もする。
簡単にまとめると、
意識はクオリアを記憶して想起することができる。
意識はクオリアを生じさせている可能性がある。
元々のクオリアはどこかの世界や空間に存在するが内部構造は不明である。
精神は様々なものの集まりにより構成されている。
意識もクオリアの一種である。
クオリアが最小単位でその集合により意識が生じている可能性。
意識のクオリアとその他の感覚的クオリアとに分かれている可能性。
何もしていない何も感じていない時も何も感じないというクオリアを感じているのでクオリアに支配されている可能性。つまりクオリアの集合で意識が生じている。
これに関しては確証がないので信じるのは危険である。
結局意識なしでクオリアは生じるのか。
意識と分離して存在するのなら生じるだろう。