反出生主義の反論と考察

反出生主義 - Wikipedia
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この世には幸福と不幸がある。
不幸の方が多い場合、産まれてこない方が良いので産まない方が良い
この世界の全てを見ないと幸福が多いのか不幸が多いのかわからない。
釈迦は一切皆苦と言ったが一切なわけがない。
幸福は少しでもあるだろう。解脱も一切の中に含まれるのだろうか。
先天的に全てが不幸と感じる者もいるだろう。
幸福か不幸かどうかは産まれてきた本人が決める。
産まれる前にはわからないのである。
しかし予測はできる。産まれる前から不幸になる事が多い可能性が高いとわかっているなら産まないほうが良いだろう。
幸福になるとわかっているなら産んでも良い事になる。
しかし現代のテクノロジーでは人生で何が起きるかは完全にはわからない。
産まれた後に新しい発見で幸福になる事ができるテクノロジーが誕生するかもしれない。
不幸な子どもの生まれない運動があるが障害者として産まれても幸福な場合がある。当然不幸な場合もある。
どうなるかわからないのに産まない方が良いとは言い切れないし産んだほうが良いとも言い切れない。

実際この現状の世界は不幸になる事が多いのか幸福になる事が多いのかどうなのか。
細かい事を調べて考えないといけない。

産まなくなると人間は絶滅する。
社会は崩壊する。
社会が崩壊することで不幸になる事が多くなると考えられる。
そうならないためになにか手を打たないといけない。
なにか問題が生じるようなら解決する方法を調べて考えて実行するべきだろう。
問題があるから産まない方が良いとは現実逃避であって問題解決にならないと思う。
産まない理由は何らかの問題があるからだ。
問題を解決すれば産める。
しかしリスクは伴う。問題を解決するため、幸福になるために不幸を経験する可能性があるのだ。
不幸があるから幸福があるとも言える。
結果的に幸福になったことで満足すれば良いが不幸だった事に不満が残るようなら問題だろう。
産まなくても問題ないのなら産まなくても良いが。
社会がなくても自立して幸福になれる者が産まれるのなら問題ないだろう。
幸福も不幸も何も無い方が良いと言う事はできるが、そうでない者もいるので反発することになるので問題になる。
人口が低下するので社会に悪影響を及ぼすと言っても、社会的な義務を負う必要なんてあるのだろうか。
社会的になった方が協力し合うので恩恵は多いはずだ。みんなが理解しあい工夫して社会を形成していくことが大事だろう。
しかし人を殺したいという欲望を叶えるため殺されても良い人を探すことは社会的だろうか。
ゲームやVRなら問題ないが現実で殺したい場合は問題が生じる。
人口が低下すれば社会が崩壊し問題になるのでダメだろう。
ということは人口が低下しなければ問題ないとも考えられる。
しかし死ぬ時は自己責任だ。予想外の苦痛を味わうことになっても遅い。死んだ後霊界で苦しむ可能性もある。
どうなるかわからないのに死ぬことは危険である。
幸福とは本人が決めるものであって、なんであっても幸福ならなんでも良いだろう。しかしそんな超楽観的な人間はあまりいないし自由すぎて反社会的にもなるので本人以外が困る
幸福になる保証があるなら産んでも問題はないだろう。

問題点の例

チャイルドフリーの支持者の言葉(例えばコリーヌ·マイヤー、 "Noキッズ:子供を持たない40の理由")から、その様々な理由を以下に引用する:
経済的に子供を育てるのが難しい
子育て支援の不足
個人のより良い人生の為
遺伝病を含む、健康上の問題
性生活が損なわれる事への恐怖
子供との関係を築く難しさや精神的ダメージへの不安
妊娠そのものへの恐怖や嫌悪感、出産を経験し体型が崩れる事への抵抗感
子育てよりも仕事を続けた方が人類に貢献できるという信念
立派な親になるだけの能力がないと自覚している為
子供が望んだ訳でもないのに子供を作るのは間違っていると言う信念
養子縁組可能な子供が沢山いるのに意図的に子供を作るのは間違っていると言う信念
人口過剰、汚染、資源不足などの環境への影響を懸念
反出生主義。生まれてくる事が全ての苦しみの始まりだとする考え
世界は悪化していると言うネガティブな信念。より悲惨になって行く世界に子供を産みたくない
夫婦関係が不安定なため
子供が嫌い
無関心
子供を育てるには年を取り過ぎている
チャイルド・フリー - Wikipedia
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最終更新 2016年7月13日 (水) 02:57

多すぎて意味不明なのでこれぐらいにしておこう。
問題が解ける者が解けば良い。解ける者がいない場合は仕方ない。
仕方ない時は楽観的にならないと不幸になる。